私と世間へのお手紙

日常と思想、ときどき宗教。拝啓、私と世間様!

2021年10月31日(日)のこと

◎夜更かし

 ていうか徹夜昨晩1時過ぎからフォロワーと通話を始めてしまい、ギンギンに眼が冴えて結局朝の7時まで喋っていた。昨日は昼間もちょこちょこ動いていたし、他のフォロワーとも喋っていたから人と話してない寂しい~とかは無かったはずなのによくもまこれだけ続くものだ。もちろん相手が違えば話題も違うし、どちらもどんな話題でも聞いてくれる人たちなので喋り続けられるのだと思う。本当にありがたい

 一方でフォロワーと通話した! とばかり叫んでいると、本当に友達いないんだなと自分でも思ってしまった。でも、じゃあフォロワーを友達って言っちゃ駄目なのか? という話でもある。どうしても出会いがTwitter上だったせいでいつまでもフォロワーと言ってしまうし、フォロワー! と呼びかけること自体に面白味を持っている部分もある。会ったこともあるし喋ったこともある咄嗟には出てこないけど本名だって知ってるし、趣味以外のことも普通に話す。今更いっかー、でパーソナルなこともぺらぺら話して……って、それで友達じゃないという方が不健全かもしれない

 そう思いながら、どこかにやっぱりリアル(現実)で知り合って親しくなった友達」と「フォロワー」は違うという意識が自分の中にあるのがなんだか寂しい。ここでわざわざフォロワーと書くのだって、もちろんぼかしの意味もあるけど、そういう意識が前に出ているからだ。でも多分、何よりも私は自分のコンプレックスが大きすぎて、本当(現実)の私を知った上で親しくしてくれる人じゃないと友達と呼んでいいのかわからない、という気持ちがあるのだと思う。内面はネット上の人たちに晒している部分の方が大きいのに、外見を晒して喋ってみないと不安だからって外面を知っている人に心の内を素直に吐露するには長い時間が必要。めんどくさい。

 ただ、これを書きながら気がついたのは、だから「今君電話」にかけてきた人には大きな悩みを持つ人が多かったのか、ということだった。全く知らない人の方が素直に話が出来る、というのはよく聞くけど、この心理は本当に多くの人に当てはまるのかもしれない。変に知られてしまっているからそれ以上深くは言えない、みたいな人も多くいるし、そういう人との関係はだんだん薄れていく。その結果で残っている縁が今連絡を取って話している人たちなら、それが友達でもフォロワーでも別に関係ないのかな。

 あと本当は、フォロワーのことを友達カテゴリに入れるのが単純に恥ずかしいというのもある。ので、今後も照れ隠しにフォロワーって書いちゃう。でもいちいちあのフォロワーこのフォロワーも面倒なのでイニシャルでの呼び分けもしていこうと思います。自分もわかりやすいしね!

 

◎ヲタク談義

 というわけで、仲良しフォロワーことSちゃんと昨夜はおよそ6時間のお喋りをした。途中、深夜3時を回ったあたりで誰か来たら面白いよねとスペースに切り替えてみたけど当然界隈の人は誰も来なかった。ただ、招待ツイートを原文ママでツイートするとそのワード検索から飛んできて知らない人のスペースでも入ってくる人がいる、ということは分かった。その他スペースの機能をあれこれ試したりも出来たので学びにはなった。

 私は2階の自室でこそこそ話していて、1階で寝ていた母は日曜だけど月末だから出勤日だった。朝が早い人なので5時前後に起床し、私がいないことに気付いて一瞬部屋に上がってこられたのはビビった(ベッドの準備がまだなので1階で寝ている)。一晩中部屋作りをしていると思われたらしく、しかも通話していることも気づかれていなかったみたい。マイクオフ機能がサッと使えるもくりに感謝。まあ、だとしてもずかずか入ってこないでくれ~という話なので、この辺りは今後も警戒が必要

 おもろかったのは、その後外が明るくなっていく中でRがつく作品をわいわい言いながら読んでいたこと。徹夜ハイになっていたのは間違いないけど、それにしても朝から何をしていたのだろう……。「イチャイチャしやがって! 朝6時だぞ!」とか言っていた覚えがある。頼むから寝てくれ。

 6時半頃に母が出勤していったあとは、寒かったのでリビングに降りた。そもそも昨晩は雨のおかげでそこまで寒くはなかったので、暖房のない自室でも夜が明かせたという話。それでも冷え込む時間帯になるとさすがに限界だったし、いい加減会話のテンポも落ちていたので7時を回ったところで通話終了。そのまま寝た。

 

◎ひる

 きっちり6時間寝たところで目が覚めたらしく、13時半にはツイートがあった。それでもうとうとしていたけど、荷物が届いたので無理矢理起床。平日とそう変わらないといえば変わらない。

 昼食に、今日はフランスパンのサンドを食べた。安くなっていたミニフランスパンを買っていたので、それに昨日のはちみつバターパンサンドとほとんど同じ食材を挟んだもの。ただし、ほうじ茶のチーズクリームマヨネーズを塗って甘じょっぱくさせた。これは今年の母の日にLINEギフトを通して贈ったものなのだが、一度一緒に食べてからほとんど忘れられている。物を贈っても長く使ってもらえないことはこれまでのチャレンジでよくわかっているので今年は食べ物にしたが、食べ物は食べ物で忘れられてしまうのだ。てなわけで使っちゃった。これまたバランスがよくて大変美味しかったです。

 

◎FireTVstickが届いたぞー! 

 届いたぞー! 

 昨日の日記にアマゾンのリンクを張ってみたら、全体のサムネも商品画像になっちゃってなんだかそういうページみたいになってしまった。当然だけど一切の収益化はしていないので安心して読んで欲しい(?)。

 アマゾンだから配達はクロネコヤマトだったのだけど、担当がにこにこ笑顔のお兄さんで照れた。このお兄さん、見た目は少し厳つそうな若い人で(多分あんまり年齢変わらないと思う)初めて見た時こそビビってしまったのだけど、お仕事は全然丁寧だし何よりめちゃめちゃ笑顔で明るい。玄関のドアを開けた瞬間からピカ! と眩しい笑顔なのがマスクをしていてもわかるし、感染症対策なのか「お名前こちらで書いておきますねー!」と言ってくれるのが助かる。ありがとうございました! またお願いします!」と去っていくのも気持ちがいい。今年に入ってから見るようになって、しかも引っ越す前の家からお世話になっているので1年目でこのあたりの担当なんだろうな。

 ただ今日の私はほとんど寝起きの酷い恰好だったのが恥ずかしかった。見せられる部屋着ではあったし、マスクもして、かつ対応する前後に大きな咳することで「体調不良で寝込んでいた人」を装ったので、どうかそう思っていて欲しい(そもそも気にしてないだろうけど)。

 でもお兄さん、「アマゾンさんからです!」とか発送元を声に出すのはちょっとやめてほしいかな……。

 

 本題のFireTVstick、めちゃよい。別に4Kでもないしアレクサも所持していないけど、どちらも対応しているものを買った。セールのおかげで非対応のものと値段が変わらなかったので、ならいつか何かの縁でアレクサや4Kの液晶がうちに来ても使えるように、という思い。アマプラは私のアカウントで繋げて、YouTubeは適当に持っていたグーグルのアカウントで連携させた。どうせほとんど私しか見ないだろうけど、母も楽しめるように興味がありそうなチャンネルを片っ端から登録。今夜はずっとジャニのチャンネルを見ていた。

 確認しているとTTFCも見られることに気がついたので、いつかまた入る機会があったらテレビで見放題だなー! とウキウキ。そんな時間があるかは知らんけど、マラソンしたくなるときが来るかもしれない。

 それだけで充分満足していたら、日付が変わってBUMPの新曲がリリースされたと同時にYouTubeでの配信LIVEも発表されたので、全力で

買ってよかった!!!!! になった。タイミングが良すぎて自分が天才。14日が楽しみ。

 

◎姉の母子手帳を見つけた話

 ここからちょっと落ち着いた話。

 FireTVstickのリモコンに入れる乾電池を探している途中で姉の母子手帳を見つけた。自分の母子手帳すら見たことが無く、そもそも姉の手帳のみが置かれていたという事は私のものがどこにあるかは不明の可能性もあるのでなんともいえない気持ちで開いてみると、そこには母の字で姉の成長の記録がしっかりと書かれていた。

 目についたのは、やはり「父」という文字

「お父さんがすっかり親バカになってかわいいかわいいと繰り返している」、「動きが活発になったことで力強く娘に拒否され、落ち込むパパ」、「お父さんと自転車の練習をしてから、サイクリングに行くようになった」……。父方の祖父母のこともところどころ記されていて、初孫に喜ぶ2人の話や、同居するようになってからの生活なんかも書かれていた。読みながら、なんとも不思議な気持ちになっていた。私は姉と6歳離れていて物心ついたときにはもう両親の仲は良くなかったし、祖父母はどちらもボケていた。はっきり言って思い出も薄く、記憶もない。おかげで、母が離婚して姉と3人で家を出て行くことになったときもあまり寂しさはなかったのだけど、姉は違う。

 姉は中学3年になる年だったし、祖父母との思い出もしっかりある。何より、父のこともはっきりと覚えているはずだ。私の中では父は自分の娘に興味のない人という印象だった。動物園や遊園地に連れて行ってもらったことや、バイクの後ろに乗せてもらったことは覚えている。同時に、理不尽に怒られたことも、母を泣かせていたことも、平日の昼間にガラクタが積まれた部屋の中心で寝そべってテレビを見ている後ろ姿も記憶にはある。そんな人でも、姉が幼い頃は彼女をしっかりと愛して、その成長を喜んで見守っていたのか。私はどうだったんだろう。私が生まれたときは、同じように喜んでいたのかな。私のこともかわいいかわいいなんて言って、そんな様子を、母は手帳に記したのかな。

 自分の中ではもう他人で、もはやいない人で、でも母も姉も本当にすっかり忘れたわけではないはずの人。私の母子手帳も出てきたとして、そこにはどんなことが書かれているのかを思うと、幼かったころの自分の姿よりも父の様子を気にするだろう。そこにはどんなことが書かれているのか、そしてそれを読んだとき私は何を感じるのか。考えるととてもこわくて、車の中からこっそり見た、コンビニの駐車場で最後に母と父がやりとりをしている光景が頭の中にずっとある午後だった。

 

 母子手帳は6歳まで記述できるスペースがあった。夏の終わりに妹ができることを伝えられ、いらない! と2日間大泣きしていたこと。いいお姉ちゃんになると宣言してから幼稚園でもお姉さんとして振舞うようになったこと。年長にあがってすぐに妹が生まれて、退院後のタクシーで初めて抱っこしてから母性本能が出たみたいにお世話しているということ。6歳の欄の最後には「母の自慢のムスメです♡」で締めくくられていた。

 3日の水曜日、姉は入籍をする。今日は結婚指輪ができたらしく、お揃いで嵌めた写真をインスタにあげていた。その前日の火曜日に、部屋の片付けがてら実家に来るらしい。これを見たからといって、私も姉も母の嫌いなところは変わらない。それは間違いなく言える。そもそも何かに必用だからと母が用意しておいたのかもしれないし、姉はとっくに見たことがあるかもしれない。でも、ちょっとだけ巡り合わせを感じるタイミングだったので、姉と二人の時間にひっそり話題にあげてみようと思っている。映画みたいで気恥しいけど、でも、やっぱりこれまで通りには過ごせなくなるから。

 

 ていうか私、結婚祝いとか何も準備してないな?

 

 

 今日はちょっと情報量が多い1日で、日記にも書きたいことがたくさんあって困った。本屋リベンジしたことと、猫のトイレ用にちょっとした工作をしたこと、日付が変わって配信されたBUMPの新曲と、ここ数日考えていた案件。昨日あげた創作への反応が良好でフォロワーがちょこっと増えたけど、妙な名前と怪しいプロフィールが多くておもろいって話などなど。

 この日記は完全に私のことを知っている前提で書いてるので、説明しているようでしていないし、読ませる気があるようでない。数人には確実に読まれていることがわかっているせいで以前と書き方が変わっていることも自覚している。自分語りってやっぱり気持ちよくて、いくらでも書けてしまうから不思議だ。創作は全然進まないのに。

 今日は書くことない! 時間ない! という日は書かなくてもいいと決めているのでラクに書けるし、真面目に連日書くようになったら反対に今日の日記早く書きたい~! と思うときもある。日記以外にも、今の自分が考えていることを今の自分の文章で残して置けるのは楽しいから、また別の話も書きます。

 私がここに書いたことについてどう思うかも、実際にみんなと話せたらいいな

 

おわり