私と世間へのお手紙

日常と思想、ときどき宗教。拝啓、私と世間様!

2021年10月24日(日)のこと

◎初スペース

 昨夜、全アカウントにスペースが実装されたということで仲の良いフォロワーと初めてスペースを開いてみた。彼女とはそこそこの頻度で通話をしているし、年齢や住んでいるとこ、他の趣味、家族構成、恋愛遍歴、創作への本音……など、かなりパーソナルなことまで話している。うっかり個人情報とわかりやすい方言を出さないこと、を互いの注意点にし、一応軽く告知もしておいた。これといった反応は無かったので誰も来ない可能性もあり、その場合は通話に切り替えて作業しようと言っていた。

 ら、思っていたより人が来た。といっても、最高で9人。私のフォロワーは70人少し、向こうのフォロワーは120人少し、共通の相互フォロワーは10人程度といったところ。そこから、私たちの話に興味があって時間的に都合もあった人というと、9人は多い方かもしれない(途中でいくらかの出入りもあったし)。しかも、どちらも繋がっていない人も聞いていたことが後から判明した。はっきりと確認したわけではないが、フォローしているアカウントがリスナーとして参加しているスペースもTLの上部に出る可能性があり、そこから参加してくれたのかもしれない。どう聞こえていたのか、一切のリアクションがなかったので少しこわい気持ちは消えていない(とりあえずブロックはされてなかった)。

 ツイキャスとも違うのでリスナーにいちいち反応していいものなのか、他の人にリクエストを出してもいいのか、何もわからず、そもそもどちらも一般アカウントのスペースを聞いたことがなかったので、とりあえずひたすら推しCPと互いの創作について話をした。普段の通話ではもはや無言の時間があったり、別ジャンルの話をすることもあったりするので、今更推しCPについてって…と不安もあったが、なんだかんだノってくるとしっかり口が回った。推しCPってすごい。

 そうして、ときどき迷走と脱線をしつつも23時前から1時まで、2時間は話し続けた。そもそも初めての通話で朝の5時まで会話していた2人である、これですごろくだのお題だのをしたら何時間になることやら。

 すでに第2回を開催することは決定しているので、Twitter社はスペースにコメント機能も搭載してくれ

 

◎国民の義務!

 ここからは今日の話。私は結局住民票を移さないまま4年過ごしたので、この4年間投票にはほぼ参加できていなかった。一度不在者投票をしたが、これがまた面倒で、またやろうとは思えなかった。「何かあったら帰ればいい距離」にかまけて住民票を移さなかったのは本当によくない。年金免除の申請にも手間取ったし、よかったのはコロナワクチンが早めに打てたことくらい……なので、今回タイミングがよかったとはいえきちんと国民の義務を果たせたのは気分がよかった。ただ、慌てて調べたことが多いので普段から感心を持つべきというのは痛感した。いつまでも他人事気分じゃだめだな。

 

◎お鍋

 投票に行く前、仕度中に姉から連絡が来て、鍋が食べたいからみんなで食べようという提案をされた。もうすぐ結婚するはずなのに、この調子でしょっちゅう実家に来ている。こちらとしては母とずっと二人も苦しいのでときどきでも来てくれるのは助かるし、毎回ごはんの後に姉と姉の彼氏と3人でカードゲームをするのも楽しい。多分、もう3回目になる。そのわりに姉の彼氏との距離は微妙にあって、未だに敬語を使われている。それはそれで面白いのだけど、もうちょっとくだけた関係になってあわよくばあちらの家に気楽に出入りできるようになったらいいなとも思っている。

 就職先の職場が近いのでね。

 

◎SUPER HANDSOME LIVE2021 円盤

 今日やっとハンサム2021の円盤を見たので、思ったことを語ろうと文字を綴っていたのだけど、書いているうちにどんどん悲しくなって一旦やめた。出されたものを素直に楽しめなくなってしまったら、自分はもう対象じゃない。今年は現地に行けていないから尚更疎外感があって、この勢いで書いた言葉を誰でも出せる場にそのまま投げてしまったら、私はいよいよ対象から外れる。そう思ったら怖くなって、明日以降、もう一度、特典映像まで全部見たうえで、それでも納得できなかったら書こうと決めた。少なくとも書きかけのものは寝かした方がいい。

 ただ、Twitterに書いた「ハンサムライブを『作品』にしてほしくない。その場にいた人にもいなかった人にも届くように、残せないところはカットしてくれていいから、それ以外はそのまま、そのときの空気を感じられる編集だけして欲しい」という思いは変わらない。チームハンサムというものは様々な形で、様々な道を辿っているけど、ハンサムライブがハンサムたちとファンが互いに感謝し合う場所であることだけは絶対に変わらないで欲しくて、それができるなら、本当は歌もダンスもいらない(やらなくなったらそれはそれで泣くけど。でも、極論はそう)。だから、当日のステージ上で披露された「ライブ」に、あとから手を加えて「作品」にすることは、私は何か違うと感じる。

 カットされてしまうのは仕方が無いし、それでもしっかり収録されている方だということは理解している。でも、過度な加工編集がされてしまうと、どうしても「この円盤化を持って今回のライブは完成しました」と言われているみたいで、私はもう、ひたすら悲しくなったのだ。

 だって、虹が完成したのは4月11日の最終公演でみんなが涙したあの瞬間だから!!!!

大体の気持ちは結局綴ってしまったので、明日以降冷静になったら直すかもしれない。でも素直な気持ちであることは変わらないからこのままかな……。 

 ふざけたことも全然好きだし、他の人の感想も先に少しでも見ていたら抱く感情は違ったかもしれない。かもしれないけど、それはたらればでしかないので。最初に見たときの、この気持ちを書き残しておくこともいつか私の気持ちを楽にするかもしれないということで。

 

 PCの方が書いていて楽しいし、キーボードを打つ行為が好きだと思ったので今日もPCで書いてみた。試しに文字サイズの変更とか太字も入れたらそれっぽくなってなおさら楽しくなってしまった。でも、寒いからとリビングで書いていたら母がドラマを見始めて、そちらに気を取られて思うように文が進まないところも多かったから、やっぱり無音か歌詞のない曲を流しておくのがいちばん集中できる。

 ハンサムのくだりも何度も書き直したので、日付が変わってからもう1時間になろうとしている。さっさと今週のジャンプ本誌を読んで、風呂に入って寝る。