私と世間へのお手紙

日常と思想、ときどき宗教。拝啓、私と世間様!

よかれと思って相手の好きな曲を使うと、それが呪いに転じることってあるよねって話。

◎アカシア

 部屋の片づけをしながら曲やラジオを聞いていたら、今週のBUMP OF CHICKENのラジオで「アカシア」という曲が流れていた。その後、ランダムで曲を再生しているときにもアカシアが流れかけて、私はこれを飛ばした。10月25日の日記*1で語った3月のライオンと同じように、BUMPの曲はどれも「私のための曲」だと思っている。全曲ではないし、タイアップされているものはその作品のための曲だなと感じたりもする。アカシアはポケモンのゲームPVに使われた曲で、かなり「ポケモンを愛している人」への曲だった。それもあって、曲自体は好きだけど私自身には刺さっていないというのもある。

 でも何より、聞いてしまうと苦い出来事を思い出してしまうスイッチの曲に、この曲はなってしまっていた。

 

◎事の発端

 去年の年末、私のメンタルがまだまだぐらついていた頃。それでも必要最低限の情報をシャットアウトして、家に引きこもって猫たちとにゃんにゃんすることでゆっくりと回復には向かっていた。そんな大晦日の夜、大学でいちばん仲良くしていた子から動画が届いた。私はその頃、彼女と連絡を取ることも辛くて、こちらから連絡をするまではそっとしておいてほしいということを伝えていた。多分、連絡を取らなくなって一ヵ月くらいだったと思う。彼女からのメッセージには「新年の挨拶もしないなんて友達とはいえないから…」みたいなことが書いてあった。そして動画は、直接ではなく限定公開でYouTubeにあげられていて、正しくはそのURLが送られていた。最初、何が始まるのかわからなくて不安だった私は、それを年が明けた1月1日の深夜に見た。動画はこの1年のふたりの思い出を振り返るスライドショーで、一緒に遊んだ写真を使って何月にはこんなことをしたね、というものだった。

 そのBGMに使われているのがアカシアだった。

 その頃の私はそもそもBUMPの曲もあまり聞けていなくて(彼らもいろいろあったのでね……)、すぐにそれとは気づかなかったけど、彼女はポケモンが好きだったし、私がBUMPのファンなことをも知っていた。それだけ思えば、納得の選曲で、粋な計らいだったと思う。でも結局、この動画がきっかけで、私は彼女と素直に話すことは出来なくなった。

 動画を見た後すぐは泣いていた。ちょっと前までこんなに楽しかったのかということと、こんな動画作ってくれるなんてという気持ちからの涙だったと思うけど、今となってはただ刺激されただけだったかもしれない。私は、彼女と話すなら今しかないと思って電話をかけた。繋がらなかった。元旦とはいえ深夜だし、年明け早々からバイトの可能性もあるので仕方がない。そう思った私は、何をトチ狂ったのかボイスメッセージを送った。まじで何か狂ってハイになっていたんだと思う。しかも話したいことを言い終えて時間を見たら1時間分になっていた。こわい。こわすぎる。彼女もよくこれを聞いてくれたなと思う。こわくなかったかな? こわかったよね。ごめん。

 私はその最後に、ちゃんと電話したいからまた時間があるときに連絡してくれ、でもいきなり電話はかけて来ないでくれということを言っていた(その以前に何度か彼女からいきなり着信が来ることがあって、私はそれが苦しかったのだ)。そのときの私は、きっとすぐに電話ができると思っていた。向こうも私と話したいはず、と思い込んでいたのだ。しかし返って来た返事は、声が聞けて安心したから無理に電話をする必要はないよ、というものだった。急いで話したいことがあるわけではないし、とも書かれていて、これは私の体調を心配して言ってくれた部分もあったはずだけど、そういわれてしまえば私も今更電話して彼女に話さなければいけないことはなかった。すると途端に彼女と会話をすることがこわくなって、やっぱり、元気になるまではまた放っておいてくれということを伝えた。そして彼女と連絡することはなくなった。

 

◎回復に向けて

 その一月後あたりに姉にこの出来事を話したのだが、その友達はあんたのためを思って動画を作ったんじゃなくて、ただの自己満を見て欲しかっただけだよとバッサリ言われた。

 た、確かに~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!

 めちゃめちゃ目からウロコだった。落ちまくった。言われてみれば、彼女からのメッセージの中には本当に「私のため」を思っているところは少なくて、どちらかというと自分がすっきりしないから、という部分の方が大きかった。動画は一度見たきり、URLの貼られたメッセージも消してしまったのでもう覚えてないけど、概要欄にも「視聴は自己責任」と書かれていたのだ。メンタルぐずぐずの人間に自己責任て。追い打ち??

 でも気づいてしまえば気持ちは随分に楽になって、そもそも合わないところはとことん合わなかったなとか、楽しく話せていたことが減っていたよなとか、彼女と連絡を取らないことでむしろメンタルは回復しているよな、なんて思うようになった。それから彼女とは4月に二回顔を合わせて話したけど、それっきり。寂しさは全くない。不思議なもので、こうなると「楽しかった思い出」というのは一切思い出さなくなった。一緒に遊んでいたときは確かに楽しかったのに、それよりも、彼女との会話で不快に感じたときのことしか思い出さないのだ。人間てそういうものなのかな。

 

◎そして呪いへ

 ここで厄介なのが、普段は全く思い出さなくても、アカシアを聞くとどうしても一度あの動画と彼女のことが思い浮かぶようになったということだ。未練があるわけではなく、ただ、一瞬だけ思い出してしまう。なんならタイトルだけで考える。

 めちゃめちゃ厄介な呪いになってしまった。

 これをあいつのせいで聞けなくなった! とは思っていない。いや、ちょっとだけ納得してないけど。それより考えたのは、いいと思って好きな曲を何かに使用したとき、それが苦い思い出を引き起こすスイッチになる可能性があるということだ。これ、いちばんこわくない?

 音楽に結びついた思い出というのは人それぞれたくさんあると思う。苦い思い出という点で言えば、体育祭のフォークダンスで使われた曲とか、もう聞けない(やってくれたな実行委員)(あんまり聞かないからいいけど)。これが相手に嫌な思い出を植え付けるために、相手の好きな曲をわざと使用していたとかであれば完全な嫌がらせである。大半はそんなことなくて、友人も、高校の同級生たちも、それで不快になるなんて思わずに選んでいる。意図的ではなく、無意識。だけどそれがまた厄介。

 つまり、私も誰かに呪いをかける危険があるということ。こわい。めっちゃこわい。フォロワーとのスペース、次はイメソン大会しようねとか言ってるけど、それが呪いになる可能性もあるんじゃん。じゃあやらないのかというと、全然やるけど。でも例えば、友人や恋人との思い出に好きな曲を絡めて…なんてしようとするときは、一度冷静になって、ちょっとどうでもいい曲とかむしろ全く知らない曲を使った方がいいのかもしれない。

 

 呪いはまだまだ消えない。もしかするとずっと覚えているかもしれないし、ライブなんかで生歌が聞けたら幸せな記憶に塗り替えられる可能性もある。早く塗り替えて欲しい。

 でも覚えているなら、それはそれで戒めとして忘れてはいけないことでもある。親しかったころのことも含めて、彼女に振り回されたのと同じくらい、私自身も彼女を振り回しまくった。もしかすると彼女だってBUMPやジャニーズは聞けなくなっているかもしれない。だったらお互い様ということで、今回の話は締めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところでアカシアは素敵な楽曲なので、みんな聞いてね。ちなみに、すみっコぐらしの映画主題歌でBUMPの新曲である「small world」は11月1日デジタルリリース予定です!

(この宣伝が呪いになりませんように)

 

おしまい